日経新聞のコラム「春秋」に、昔の人が詠んだ桜にまつわる歌の紹介がありました。コラムには詠まれた歌そのものは書かれていませんでしたが、西行や小野小町が桜に込めた思いが興味深かったのでご紹介します。
コンテンツ
桜の季節に死にたいと願った西行法師
ねがはくは 花のもとにて 春死なむ その如月の 望月のころ
できることなら、2月の満月ごろ、春の桜のもとで死にたいものだ。
西行法師は平安時代から鎌倉時代にかけての僧侶、歌人です。もともとは鳥羽院の北面の武士でしたが後に出家しました。新古今和歌集には最多の94首が入選しているので、この時代の大歌人とも言える人でした。
歌に出てくる「如月」は2月、「望月のころ」は15日の満月の日を指します。2月と桜はあまり結びつきませんが、この時代は旧暦(太陰暦)が使われていたため、現在使われている太陽暦とは1ヶ月以上の差がありました。
調べてみると、西行が亡くなった1190年(建久元年)では、旧暦の2月15日が今の3月22日に相当するようでした。これであれば歌の中の「花」が桜を指すとしても納得できますね。
この歌は、西行が亡くなる十数年前に詠んでいた歌だそうですが、彼は願ったとおり桜の季節に亡くなりました。その日は約830年前の1190年2月16日、享年73歳でした。
日付が歌で詠まれたものに非常に近いので何か予言的なものを感じますが、自らの願いがよくかなったものだと思います。
美貌の衰えを花にたとえた小野小町
花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに
桜の花の色がすっかり色あせてしまったと同じように、私の容姿もすっかり衰えてしまったなあ。桜に降る長雨を眺め、むなしく恋の思いにふけっている間に。
小野小町は平安時代初期9世紀頃の女流歌人です。平安時代の代表的歌人である六歌仙のひとりでもあり、百人一首に選ばれているこの歌も有名ですね。
クレオパトラ、楊貴妃と並んで、世界三大美女にも挙げられるほどの絶世の美女だったと言われていますが、小野小町を三大美女に入れるのは日本だけだそうです。
とはいえ、上のような歌を残していると言うことは、自分でもよほど自信があったのかも知れません。
出自や生没年は不詳で謎に包まれているのですが、彼女の出身地が秋田にあったという伝承はあります。そのため、お米の「あきたこまち」をはじめ、秋田県には小野小町に由来するものが多くあります。
代表的歌人の作だけあって歌には技巧が凝らされており、掛詞も使われています。掛詞というのは一つの表現で2つ以上の意味を持たせるものですが、今で言うと駄洒落みたいなものですね。
この歌では「ふる」と「ながめ」が掛詞です。「ふる」は”経る”と”降る”をかけていて、「年月が経過した」ことと「雨が降る」ことを表現しています。「ながめ」は”長雨”と”眺め”をかけて、たった3文字で「長雨を眺める」ことを表現してしまっています。
作者本人は洒落のつもりかも知れませんが、その凝縮のされ方はみごとですね。
おわりに
日経新聞のコラムで紹介されていた、桜にまつわる古人の歌を紹介させて頂きました。桜にひかれる日本人の心は昔から変わりありませんが、その思いは様々ですね。
先のコラムには全部で4首の歌が紹介されていました。残りの2首については、以下の記事からどうぞ。
[参考文献]