ブラタモリ横浜。初代横浜駅は海の上に建てられた?

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ブラタモリ第38回目は神奈川県横浜市。有名な所なので親しみがありますが、今の中心街のほとんどが昔は海の中だったとか。意外と知らないことも多く、興味深かったのでご紹介します。

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地名の由来は「横に長い浜」

横浜市の人口は372万人、日本で最大の人口を有する市町村です。もしかしたら、神奈川県より横浜市の方が有名かも知れませんね。

そんな横浜も昔は小さな村があっただけの田舎でした。その場所は海の中に大きな砂州ができていた場所で、浜が横に長いということで「横浜」と呼ばれたそうです。

「関内」には外国人居留地があった

横浜市役所もある関内駅周辺は、江戸時代末期に外国人居留地があった場所です。

開港を諸外国から迫られた江戸幕府は、当時の中心地である神奈川から離れた横浜を開港しました。当初は神奈川開港を要求されていたものの、外国人の居場所をできるだけ隔離したかった幕府は、横浜も神奈川の港の一部であると主張してこの場所を開港したそうです。

当時は砂州の上に小さな村があるだけの場所でしたが、砂州と陸の間を埋め立て、そこを外国人居留地として造成しました。埋め立てによって海から変わった川が居留地を出島のように隔てる形になり、川にかけられた4カ所の橋に関所が設けられていたそうです。

かつての外国人居留地、関所の中であった場所が、今では「関内」と呼ばれている訳です。

神奈川駅近くからはオーシャンビューが楽しめた

江戸時代は東海道が通っていた神奈川宿あたりが中心地でした。場所で言うと、今の京急線神奈川駅あたりです。この辺りには、江戸時代の最盛期に1300以上の旅籠や茶屋が並んでいたそうです。

上の絵は歌川広重の東海道五十三次、神奈川。神奈川宿の東海道、台の坂辺りを描いた風景です。絵でも分かるように、東海道のすぐ南側が海で、街道沿いに並ぶ宿の部屋からはオーシャンビューが楽しめるということで、江戸時代の観光スポットだったそうです。

江戸時代には東海道の宿場町として行き交う人も多い神奈川宿でしたが、横浜開港によって幕末以降中心地が移ることになります。

横浜までの線路は海の上を通った

横浜の開港によって外国人が居留地に移り住み、周辺の人口も急激に増えました。

横浜にも大量の物資を運ぶ必要が生じましたが、当時の大動脈である東海道から離れていたため、明治政府は神奈川から横浜まで鉄道を建設しました。これが、明治5年に新橋、横浜間に通った日本最初の鉄道です。

下の写真は当時の建設の様子ですが、海の上に線路が伸びているのが分かるでしょうか?

実は、神奈川から横浜まで最短経路で線路を通すため、線路は海を埋め立てて通されました。埋め立てには神奈川駅近くの山を切り通した際に出た土を利用、およそ1.4kmほどの線路を半年ほどで整備したそうです。

上の地図では神奈川宿付近から海の上を伸びている部分が、当時埋め立てられた場所です。そして鉄道の終点、初代の横浜駅も海を埋め立てて建てられました。

ところで地図を見てお気づきの方もいるかも知れませんが、初代横浜駅は今の横浜駅ではありません。今の横浜駅は初代よりずっと神奈川駅寄りにあり、実は、今の桜木町駅が初代横浜駅だったということです。この辺り、江戸時代は海の上だったのです。

近代的な水道も整備

急激に人口が増えた横浜では水も不足しました。
そこで、44kmも離れた相模川から水道管を通して水を確保しました。

この水道が完成したのは明治20年、日本初の近代水道と言われているそうです。そして、129年経った今でも、横浜市民10万世帯の生活用水として利用されています。

おわりに

毎回番組中の小咄的な話が面白いブラタモリ。今回は蒸気機関車の走り方講座。

蒸気機関車は、ピストンに入った蒸気が動輪につながったピストンを押したり引いたりして動くわけですが、押す時に出る音が「ジョシ」、引く時に出る音が「ダンシ」だそうです。これがずっと続くので、「ジョシ、ダンシ、ジョシ、ダンシ、女子、男子、…」という音を出しながら、女子と男子が協力して蒸気機関車は走るのだとか。

横にいた鉄道総研の方も知らなかったというお噺でした。

以下は書籍版のブラタモリ。今回の横浜はまだですが、現在第6巻まで出版されています。